私は合同会社 梅潭行 責任者の杉浦正一です。

 

 

私どもの基本の考え方は顧客主義です(Peter.F.Draggerに共鳴しています。)対価を払ってくださるのはお客様であり、お客様に満足して頂かなければ対価を受け取る事は出来ません。お客様から評価される様な質のサービス=弊社にしか無い機能の提供が必須と考えております。

 

私ののキャリア

 

20代後半に当時は珍しかった、導電性樹脂の開発販売に携わり、樹脂市場に於ける開発に携わりました。

 

30代に当時勤務していた日本最大手の化学会社とドイツの最大手化学会社の合弁会社に勤務

 

40代で中国返還前の香港に7年間現地法人の副社長として駐在(香港に事務所を持つ世界の大手化学会社と接触していた)この時に営業、購買、財務、経理を担当して、英国式会計基準を習得した。特に中国へは通算400回以上入国しました。

 

50代では日本の化学分析器の製造販売会社に海外営業部長として勤務(後に取締役営業本部長に昇進)約10年間で売り上げを3.5倍にして、債務超過に陥っていた会社を再生させた。

この時期世界に55社の代理店と代理店契約をしました。

 

60代で 理化学ガラスの製造販売メーカーに輸出事業の確立の為に乞われて入社、3年間勤務して、目標達成の見込みが見えて来た所で退社。

 

現在70代ですが、サラリーマンを卒業して自身で事業をするべく、合同会社 梅潭行(英名:Baitan Consultant Business社)を設立、開業。80代で働く準備を開始しました。サラリーマンは90になったらやらせて貰えませんが、自分でやっていれば何歳まででも勤務できます。

 

 

現役最終目標は90代まで働く事です。

 

海外での活動は全て現地の代理店と直貿で進めて来ましたので、年間3〜4ヶ月は海外出張でした。ご参考までに過去30年間のパスポートの写真を添付しました。

梅潭行に付きまして。

代表者の4代前の杉浦家当主は杉浦兵庫頭梅潭という名で、徳川幕府の目付、長崎奉行、函館奉行を努め、明治維新以後は北海道開拓吏として北海道で活躍しその後東京に戻り、明治の代表的な漢詩人として活躍しました、梅潭行はこの兵庫頭の号梅潭を使用させて貰っています。